妙法寺No.2
妙法寺は、もと鶴山柳の壇にあり、福聚山妙王院と称していました。慶長9年(1604)、森忠政は津山城築城に際して、妙王院を南新座に移し、妙法寺としました。しかし、南新座は武家地として造成されることになったため、元和3年(1617)現在地に移転しました。安永年間(1772〜81)、山号を長昌山と改めました。 本堂は、桁行5間、梁間6間、向拝1間付きで、屋根は入母屋造本瓦葺である。建築年代は板御本尊墨書および鬼瓦銘により、承応2年(1653)と推定されてます。建物平面は大きく前後に分けて、正面奥行2間を三方吹放しの札堂、その奥を内陣とし、境には高敷居を入れています。内陣後ろ寄りに四天柱を立て、唐様須弥壇を置いています。 |
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2009.10.15 | ||||
▲果物がたわわに実っていますが、正式名はわからないそうです。 ▲昇り竜 ▲瓦も時代で姿が少しづつ変わっているそうです。 ▲境内のさるすべり ▲山形弘(ひろむ)画伯が描いた仏画だそうです。 本堂の壁画も山形画伯が描いたものです。 長昌山 妙法寺 津山市西寺町65 電話0868-22-4337 |
▲三十番神堂 ▲因幡の白兎 |
▲掲額 ▲この彫り物を彫ったのは、だんじりで有名な方が彫ったといわれている。ぐるりと飾られた彫り物はどれも随分立派な物です。 |
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▲女子教育の先駆者竹内文子のお墓 ▲森家刀匠兼景のお墓 ▲大村 清一(第1次吉田内閣の閣僚として日本国憲法の公布文に名前が残る一人)、大村 襄治(元大蔵政務次官・ 防衛庁長官)さん親子のお墓 ▲右が大村 襄治、左が大村 清一 阿部俊子さんも衆議院議員選挙前にお参りに来られたそうです。 ▲儒家 山下家代々のお墓 ▲俳画と俳句の石碑 ▲歴代和尚のお墓 ▲一字一石一部 この中にはお経を書いた石が69000個入っているそうです。 |
▲文人画家飯塚竹齊のお墓 ▲津山藩松平家絵師狩野如林のお墓 ▲平盛明のお墓 ▲苅田家のお墓 元衆議院議員の苅田浅野さんも分骨埋葬してある。 ▲苅田家のお墓 ▲山形弘(ひろむ)画伯 のお墓 (津山市の文化功労者で洋画家として活躍した。) ▲豊福家のお墓は面白い形です。流石藝術に縁の深い豊福家らしいお墓です。 ▲長昌山第28世の碑
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