瑠璃山 本光禅寺
長徳(995)のころより薬師如来を安置して、神徳寺と称す。
寛文(1661)のはじめ津山藩二代目森 長継黄檗の木庵禅師の高弟鉄堂に帰依し本光寺と改名
東一宮中村七十五石六升六合、西一宮湯谷村七十四石九斗二升四合、計百五十石を禄高として再興、森家菩提寺となる。
元禄十年、森家改易と共に一時寺領退転となるも、森家の族、播州乃井野の城主、森對馬守長俊、同備中新見の城主、関備前守長治、同赤穂加里屋の城主、森和泉守長直等の諸侯より茶湯料として各高十石宛寄附あり。
且、松平家津山へ入城の後、その由緒特殊なるを以って、寺格取扱最鄭重にして年々高米寄附あり。しかし、明治維新に及び諸侯の寄附は全く廃絶。戦後の農地改革(開放)(昭和22年)を経て今日に至る。(2014.5.23)※詳しくは前回の取材をどうぞ。 ※冬の本光禅寺
本光禅寺参道
本堂
客殿
客殿
客殿、薬師堂 本堂
客殿から見た銀木犀
山門
裏山から見た本光禅寺 墓所
裏山を上ると墓地になっているが、元大名屋敷だったそうです。
草を刈り取っている所がそうです。
本光禅寺に行きがけの道から見える大名屋敷跡地(平らになっているのがわかる)