岡山県立津山高等学校(岡山県立津山高等女学校)の今昔

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消えゆく山下校舎 1962(昭和37)年  ≪岡山県立津山高等女学校、岡山県立津山女子高等学校、岡山県立津山成美高等学校、山下校舎≫

 1903(明治36)年の女学校開校以来、戦後の女子高等学校山下校舎と、美作の女子中等教育に大きく貢献したこれらの建物は、椿高下新校舎の完成を以て幕を閉じることとなった。
(資料提供:岡山県立津山高等学校)

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↑写真は、昭和10年ごろの写真だそうです。(写真提供:安東美和さん)




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↑山下校舎跡地(1995年創立100周年記念誌より)

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本館正面(昭和36年)                      正門(昭和24年1月頃)

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農園作業(明治末年より大正初年ごろ)

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通称「万里の長城」明治 
 往時の教職員と生徒、全校での記念写真であろう。遠く中国山地を望み、「万里の長城」と通称された塀である。長くのびる松は、伝説「お花の松」である。「女子中等教育の府は関係者以外侵入禁止」を象徴する「長城」である。(文:説明より)

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運動会(明治末年より大正初年ごろ)

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運動会(明治末年より大正初年ごろ)(上記写真など資料提供:岡山県立津山高等学校)

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                                2015年現在の津山の万里の長城
同窓会館(而立館)
 この地は津山城の外堀の一郭で南東には京橋御門があった由緒深い歴史をもつ土地で、岡山県立津山高等女学校のあった跡地です。
 建物は同校の30周年の記念として昭和7年に完成し、而立館と命名されたが昭和36年同窓会館と改名一棟のみ残されたものです。
 昔の歴史を語る土地は殆ど消え去った現在、この地に住む人々が城下町の誇りとして後に続く人に保存と歴史を語りついで欲しいと思います。
 明治36年開校以来、平成14年百周年を迎え、平和に学んだなつかしい思い出と共に歴史を伝える一歩としてこの標識を掲げます。
平成15年吉日     津山高等女学校なでしこ会  (文:案内板より)

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京橋御門跡から東西を見る              この奥が万里の長城

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京橋御門跡(津山城大手口)の石柱(2015年2月12日取材)

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2015年(昭和90年)(平成27年)の今

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京橋御門跡から津山城を向いてパノラマで撮ってみました。