知新館(旧平沼騏一郎別邸)

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▲表門は、主屋の正面に開かれた三間一戸の門で、両脇に塀を取り付けており、腕木を伸ばして屋根を支える形式をとっています。(国の登録文化財)2010.6.14取材

知新館の位置と歴史
平成10年10月に国の登録有形文化財となった「知新館」は、岡山県北の城下町津山市の南新座に伝わる武家屋敷で、第35代内閣総理大臣平沼騏一郎(1867~1952)の別邸として建てられたものです。
知新館のある場所は、国指定史跡の津山城跡の南西に位置し、旧津山藩士であった平沼の屋敷があったところです。昭和14年(1939)に第35代内閣総理大臣に就任した平沼騏一郎と、その兄で早稲田大学の学長をつとめた平沼淑郎の兄弟も、この地で生まれ、明治5年(1872)に東京に移住するまでの幼児期を過ごしました。
現在の知新館は、その当時のものではなく、騏一郎の古希を祝して、法曹界ならびに津山人々が中心となって平沼兄弟の生家であった屋敷を買い戻し、昭和12年から翌13年にかけて元の旧邸の姿に再現したうえで騏一郎に贈呈したものです。
彼は、幼い日の思い出の残るこの別邸を殊のほか愛したと伝えられ、郷里の津山に戻った時は、ここに滞在しています。その後、昭和25年に、この別邸は平沼家より「津山市民の公共福利のために役立ててほしい」と津山市へ寄贈されました。市では翌26年に津山市内及び周辺地域の歴史資料を収集展示した市立津山郷土館として開館し、永年にわたって津山地方の史学研究の場として大いに活用されました。
そして、昭和62年に市立津山郷土館としての使命を終えた旧平沼騏一郎別邸は、平成元年から市民の文化・芸術活動の場として再び活用されることになり、名称も「知新館」と改称され、現在に至るまで多くの市民に利用されています。

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▲塀は、主屋の北にあり、道路に面してめぐらされた屋根塀です。加工した切石の基礎の上に、漆喰で塗り込めた塀を建てています。(国の登録文化財)
知新館の構造と特徴
 知新館は、表門、塀、主屋、土蔵、中門、庭、井戸等から構成され、江戸時代の武家屋敷の面影を今に伝えています。この知新館を設計したのは、平沼騏一郎の親戚で、当時、津山で建築家をしていた中川伊平(1905~1984)です。伊平はこの知新館以外にも、国の登録文化財になっている「翁橋」(津山市西今町)の設計にも携わったといわれています。また、施工は、浅倉屋の屋号で、市内橋本町で江戸時代より代々棟梁をしていた松井直(1894~1977)によるものです。

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▲式台(玄関先に設けた板敷きの部分。武家屋敷で、表座敷に接続している。)

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▲玄関すぐ横の庭木

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▲蔵です。(国の登録文化財)

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▲蔵の中の展示場には、平沼さんの書や写真が飾ってあります。
 土蔵は、主屋の北東にある二階建て桟瓦葺の建物で、昭和26年、市立津山郷土館として開館するのに合わせて、展示史料館として建築されました。昭和12年に建築された表門、塀、主屋と違和感が生じないように意匠を合わせています。

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▲玄関から入った所(平沼さんしかここから出入りできなかったそうです。)
 主屋は、玄関、座敷、台所を備えた武家住宅で、切妻造とし、棟を段違いに造っています。ここの間取りは、平沼騏一郎の生家の間取りを取り入れて再現したといわれており、基本的には、津山の武家住宅に見られる典型的な「四間取り」の他の部屋を加えた構成になっています。騏一郎が滞在している時は、玄関脇の部屋は関係者が、そして奥の四部屋は彼の居室として使われていました。(国の登録文化財)

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▲左から2番目は台所。

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▲廊下や寝室。歴史がビデオで紹介されているので解りやすかったです。

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▲庭のつつじが綺麗に咲いていました。

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 津山市内には、いくつかの武家屋敷が残っていますが、時代の変遷とともにその数は少なくなってきており、知新館は往時の屋敷構えを今に伝える貴重な存在となっています。

この知新館は、桶屋町、南新座2・3・4丁目の4町内会の連合で管理しています。みなさん和を大切にしておられるそうです。またここは、イスがあるので足の痛い人にも便利ですし、部屋は天井が高く、夏でも涼しいそうです。
★誰でも無料で使用できる。(但し使用目的による)★午後5時までなので、日中にできる趣味の会がベター。
★お弁当の持込可。(アルネでお弁当を買ってここで庭を眺めながら食べている人もおられるそうです。)
【問合せ先】津山市経済文化部文化振興課 TEL.0868-32-2121(直通番号)


知新館の現在と将来
 現在、知新館は、市民の文化・芸術活動の拠点として、華道、茶道、邦楽等の稽古場として、また市民のコミュニティー施設として、多くの人々に親しまれ利用されています。
 岡山県で前回国体のあった昭和37年のある日のことです。知新館(当時は市立津山郷土館)に来館した高雅な紳士が、入館者名簿に「竹田恒德」と記帳されたので、職員が驚いて「元殿下では」とお伺いしたところ、その紳士は「旧皇族でした。ここは、私たちが最も尊敬していた平沼先生のご生家の跡と承ってお訪ねいたしました」とおっしゃられたそうです。
 知新館の表門をくぐり、立派な玄関の式台の前に立つと、今にも金縁眼鏡をかけた騏一郎が威儀を正して出かける様子が目に浮かぶようです。
 幼い日、兄の淑郎と兄弟仲良く遊び、祖母や母から厳しいながらも温かい教育を受けた騏一郎。その懐かしい思い出がいっぱい詰まった生家を復元したこの知新館での滞在を、彼は何よりも楽しみにしていたといわれます。
 今、主屋の南端の広縁に立ってじっと庭を眺めていると、ふと騏一郎の居た時代にタイムスリップしたような気がします。
 半世紀以上前に、同じ場所に立ち、同じ景色を見ていた彼は、ここで何を思い描いていたのでしょうか。
 わが国の行く末のこと、幼い日の懐かしい思い出、それとも・・・・。
 幕末に生まれ、激動の明治・大正・昭和を駆け抜けた第35代内閣総理大臣、平沼騏一郎の想いが伝わってくる知新館です。(資料提供:津山市教育委員会文化課 教育時報 平成14年10月号 岡山県の登録文化財 No19より)